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インタビューに応じる金森穣さん=新潟市中央区、茂木克信撮影
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 国内唯一の公共劇場専属舞踊団「Noism(ノイズム)」(新潟市)の設立20周年記念公演「Amomentof(アモメントフ)」が26~28日、さいたま市中央区の「彩の国さいたま芸術劇場」で行われる。Noism芸術総監督の金森穣さん(49)は、世界に通用する作品を新潟から発信する傍ら、日本に劇場文化を根づかせる夢を追い続けている。節目にあたり朝日新聞のインタビューに応じ、先駆者ゆえの闘いの軌跡を語った。

「劇場専属なら」 提案かない、新潟に移住

 プロの舞踊家・振付家として2002年に欧州から帰国し、フリーランスで活動していた03年のことでした。新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)を管理運営する新潟市芸術文化振興財団から、開館5周年記念のミュージカルの振り付けと出演を頼まれました。

 その舞台を同年5月に終えた後。財団の事業課長から「りゅーとぴあの舞踊部門の芸術監督になってほしい」と依頼されました。

 財団が考えていたのは、いわゆるアドバイザー的な役割でした。拠点は東京に置きつつ、私が関わった作品を新潟に呼んだり、りゅーとぴあの活動について助言したりする。そうした仕事には興味がなかったので、逆に提案しました。

 「りゅーとぴあの『顔』になることには興味がありませんが、劇場専属の舞踊団をつくらせてもらえるのなら引き受けます」と。

 劇場専属舞踊団は欧州の文化システムです。劇場が一つの舞踊団を丸ごと抱えて、舞踊家やスタッフの給料、社会保障、日々の稽古や創作のための環境を提供します。そして、舞踊団の創作物を世界に発信することで、劇場としての個性を打ち出しています。

 帰国してから日本の劇場文化の未熟さに歯がゆさを感じていました。国から地方に巨額の税金が配られ、各地に立派な文化施設が立っているのに、中身が伴っていない。多くの事業予算が東京や海外から人や舞台を呼ぶのに消費される一方、独自の芸術を創造して発信しようとはしていませんでした。

 いい機会だと思いました。「予算を増やすのではなく、使い方を変えてみませんか」と提案したのです。りゅーとぴあを所有する新潟市は、話を聞いて驚いたと思います。返事は半年ほど待たされました。

 財団の課長から「決まりました!」と電話が来たときは、歴史が動いたと思いました。劇場専属舞踊団は国内初の取り組みです。気概を感じ、新潟市への移住を決断しました。

10人の舞踊家を選抜して始動

 後で聞いたのですが、市からの出向者だったこの課長は、当時の市長に直談判をしてくれたそうです。「君は自分の首を賭けてでもやるのか」と市長に問われ、「やります」と答えてくれたらしい。新しく何かを始められる、官僚的でない方でした。この方がいなかったらNoismはできていません。本当に感謝しています。

 Noismの名前の由来は「No-ism」、つまり無主義です。特定の主義を持たず、歴史上蓄積されてきた様々な身体表現に取り組むという決意を込めています。「新潟から世界へ」をスローガンに03年のうちにオーディションを行い、10人の舞踊家を選抜して、04年4月に始動しました。

 ただ、首を賭けてくれた課長は直前に異動になっていました。定期異動なので仕方ないのかもしれませんが、思い入れがある方に長く関わってもらえないのは残念でなりません。

職員との熱量の差を痛感

 この20年、たくさんの財団職員や市の職員とやりとりをしてきました。コミュニケーションが取りやすい方、話を聞いてくれる方、逆に全く聞いてくれない方と様々です。何より、われわれ舞踊家や契約スタッフとの立場の違いを常に感じてきました。

 Noismの公演の成功や失敗、世間からの評価、海外での公演の有無といったことは、職員の方々の生活に影響しないのです。一方、われわれはフリーランスなので当然生活に関わります。夢に関わるし、社会変革にも関わる。同じ熱量で動いてほしいと願うのですが、やはり無理なのでしょう。まれに共に闘おうとしてくれる方もいます。でも、上司には逆らえないし、体制を変える裁量権もない。どうしても溝は埋まらないのです。

 特に最初のころは、劇場専属舞踊団という新しい文化政策をやるのだという意識すら欠けていました。別に闘いたくて闘ったわけではないのですが、「本当にこれでいいと思っているのですか?」と言い続けるしかありませんでした。

■「劇場」と「市民会館」は別…

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